著者からのコメント
ホテル業界の向上のために、私が最大限貢献できることはなにか。
この答えが、「愛すべきホテリエ、飯島幸親氏の人生やホテルマネジメントの理論と実践」を伝えることだったのです。
外資系ホテルの進出、投資ファンドによるホテル売買など、日本のホテル業界は、いまグローバリゼイションという大きな波が押し寄せ、翻弄されています。
グローバル化の進むいま、日本のホテルのあるべき姿、目指す理想像が見えなくなっているのが現状なのではないでしょうか。
本書で紹介している飯島幸親氏が横浜ベイシェラトンホテル&タワーズで実践しているホテル運営手法は、一つの正解であると確信します。
著者について
1967年生まれ。法政大学経営学部卒業。1992年(株)オータパブリケイションズ入社。販売部、企画・マーケティング室、『週刊ホテルレストラン』編集部を経て、ホスピタリティ業界人を応援する「ホテリエ事業部」を発足。1996年『ホテル業界就職ガイド』、「ホテル業界就職セミナー」、2000年、ホテル業界の勉強会「宿屋塾」、『ホテル・レストラン業界キャリアアップガイド』企画・立案。書籍編集、雑誌プロデュース、セミナー、イベント、ウェブ、メルマガなどのメディアを駆使してホテル業界の活性化に取り組む。ホテリエ事業部部長。
抜 粋
プロローグ
横浜の街が動きだす一時間も前、天空は依然漆黒の闇に包まれた午前三時、ホテリエは目を覚す。リブインしているホテルの部屋は二十二階のスタンダードツイン。以前はスイートルームに寝泊りしていたが、「高い部屋は、お客さんに売ってください」と自ら進んで狭い部屋に移ってきた。
CNNでアメリカのニュースを観るためにベッドからリモコンをテレビに向け、スイッチを入れる。三十分程ぼんやりとテレビを眺め、目が冴えてくるとパソコンに向かう。自邸のあるアメリカの家族や友人とテレビ電話で話をし、ニューヨーク・ストック・マーケットをチェックする。ホテリエが起き出したベッドのサイドテーブルにはメモ帳が置かれている。やるべきことや、新しいアイデアを思いつくと、寝ていても灯りをつけてペンをとり、忘れないうちにメモをするためだ。
四時四十五分、Tシャツと短パン姿に着替えてキャップをかぶり、部屋を出る。海辺のみなとみらい地区までジョギングである。
エレベーターでロビー階に下り、ナイトスタッフに軽く声を掛けてホテルを出る。街はまだ閑散としている。JR横浜駅の地下を通り抜け、東口から地上に上がり、高層ビルが立ち並ぶ新興都市を抜けたあたりで、引き締まった朝の空気を胸いっぱいに吸い込んでから走り出す。赤レンガ倉庫まで、スローな三十分のランニングである。ゴールと決めている桟橋の柱にタッチするとしばし立ち止まり、手を腰に当て空を仰ぐ。
帰路はのんびり海沿いの遊歩道の散歩を楽しむ。海を眺めていると仕事上のさまざまな諸問題などまったく小さなことに思えてくる。遠くで風力発電用の風車がゆっくりと回転している。その日の風力を知らせる掲示板を見ると風速五メートル。そよ風程度である。みなとみらいの三銃士と呼ばれる三つのホテルは、早朝とあって客室の灯りはほとんどついていない。
気が付くと夜の帳は立ち去って辺りは明るくなっている。再び横浜駅をくぐり西口に戻るころには、すでに大勢の通勤客が相鉄線からJRの改札に向かって足を速めている。新しい一日が始まっている。
六時十五分、ホテルの部屋に戻りシャワーを浴びる。英字新聞を含んだ四紙の新聞に目を通し終わるとワイシャツを着、ネクタイを締め、スーツをまとう。ホテリエが、シェフからビジネスマンに転向してちょうど今年で十年、スーツ姿もよく似合う。
七時、従業員用のエレベーターで一階に下りる。
フロントオフィスに立ち寄って、ナイトマネジャーと言葉を交わし、昨日の営業数字とオンハンドの稼働率などのGRR(グロス・レベニュー・レポート)をチェックする。
フロントオフィスからロビーに出、「ご苦労様です」とスタッフに目配せをしながら、二階にあるコーヒーショップ「コンパス」に上がる。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
会うスタッフ全員に声を掛ける。泊まり勤務などで元気のなさそうなスタッフには「調子はどうですか、がんばってますか」と話しかけ、笑顔で肩をたたく。ホテリエはこのホテルに来て、四百人いるスタッフ全員の名前を暗記しようとしているが、さすがにそれはまだ達成されていない。
各レストランのマネジャーやチームリーダークラスのスタッフには、自分の携帯電話の番号を教えてあり、「忙しいときは、いつでも呼んでください。ヘルプに来ますから」と伝えている。ホテリエは、このSOSコールが鳴ると、そのレストランに駆けつけてサービスを手伝うのだ(ホテリエはこれを「レスキュー隊員」と自嘲気味に形容する)。
コーヒーショップが忙しいときは、コーヒーポットを片手に取る。客席を回ってゲストに注いで回る。ゲストが席を立つと自ら皿をバッシングする。
「おはようございます。お元気ですか。お困りのことはございませんか」
ゲストに積極的に声を掛ける。外国人のゲストがホテリエに話し出した。
「ジムの営業開始時間、もう少し早まりませんか。できたら仕事に行く前に一汗かきたい」
ホテリエは丁寧に応対する。
「イエス、おっしゃる通りです。もっと早くから開けられるかどうか、努力してみます」
ホテリエが口にした"ドゥ・マイ・ベスト"というフレーズが心地よく耳に残った。
ホテリエの名を飯島幸親(ルビ ゆきちか)という。
アメリカのホテルで三十年間マネジメントに携わり、ホテルビジネスの要諦を熟知している往年のプロフェッショナル・ホテル・マネジャーである。
現在六十五歳、一度リタイアしたが、請われて横浜ベイシェラトンホテル&タワーズにやってきた。アメリカ流ホテルマネジメント、つまりホテル運営のグローバル・スタンダードを落とし込み、世界と張り合えるグローバルなリーダーシップ、グローバルなホテリエの育成が飯島の仕事である。任期は二年。二年で飯島の持つすべての手法をホテルに伝え、オペレーションの仕組みづくりをして、確実に利益を確保できるホテルに変えるのだ。
「ホテル運営に、特別な能力やとび抜けた努力なんていらない。当たり前のことを当たり前に一つずつ根気よく続けていくだけでいいんです。残念ながらその当たり前のこと、つまりグローバルなホテルマネジメント手法が日本にはまだ浸透していないし、実践されていない。日本人は優秀です。スタッフ一人ひとりは本当にまじめで努力家です。ただし、そのスタッフをマネージする手法が見えないだけなんです。私はそれを伝えたい」
飯島は、そう力説する。
本書は、シェフ、そしてホテリエとしてアメリカで成功し、日本でホテルマネジメントの変革に奔走している飯島幸親という一人の人生をたどったうえで、いま横浜ベイシェラトンホテル&タワーズに落とし込んでいるグローバル・ホテル・マネジメント手法の数々をドキュメンタリータッチで記述している。読者がそれを自社に取り入れてすぐに行動し、わが国のホテル業界がグローバル化することを目指した本である。
本書を読み終えた後、読者のみなさんが、これを書いている私と同様に、わが国のホテル業界の明るい未来を見出せたら、飯島幸親という愛すべきホテリエを紹介した価値があったといえると思う。
近藤寛和
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